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ひまわり園

あら、雄介さんが出らしたのね。そしたら、杏奈ちゃんの歓迎会の挨拶の順番から、次は私の番になるのね。私、そんなに語る事は無いのに。

河原崎信代と申します。46歳、夫とは5年前に別れました。別に、そんな大した理由じゃないんです。

夫の父親が寝た切りになりました。母親は案外ぽっくりと往生してくれたのですが、父親は、寝た切りとは言いながら深夜に徘徊したり、排泄物をご近所様の壁に塗ったりする、悪性の認知症でした。

私は、施設か病院に入居させたいと夫に願いましたが、夫は在宅介護に拘りました。何かプライドがあった様です。「自宅で介護も出来ない家」と思われるのが嫌だったのでしょう。

でも、何も介護に関して手伝いはしてくれませんでした。いえ、掃除洗濯炊事、何もしませんでした。給料を入れればいい、そう思っている男でした。

夫の父親が亡くなると、私は離婚を願い出ました。渋々ながら夫は受け入れてくれました。慰謝料等は一切頂きませんでした。あんな男と一緒にいなくなれるだけでせいせいしました。

私には息子がいます。高校2年生です。全寮制の学校に通っているので、今は家にはいません。スポーツ推薦ですの。

中学時代は、給食があるにも関わらず、毎日お弁当を作ってあげていました。

今度、全国大会に出場する、って手紙にありました。応援に行ってあげなくっちゃ。

話が逸れて仕舞いましたわね。

元夫の父親が亡くなった後、離婚して、女手一つで中学生になったばかりの男の子を育てなくてはならなくなった私は、介護福祉士になりました。

でも、不思議なものです。月給は税込みで15万円足らず。年間でも200万円もいきません。育ち盛りの息子を持っていると、貯金等出来る筈も無く、逆に貯金を切り崩していくばかりです。だって、家賃だけでも5万円はするんですから。

ご近所さんに話を聞いていると、割のいいフルタイムのパートなら、それ以上稼いでいる方もいらっしゃいました。

私は、日頃から日記を付けていました。ふと目をやった新聞に、読者のコラム蘭がありました。思い切って、コラムらしきものを書いてみました。普段書いている日記を簡単に纏めたものでしたので、案外あっさりと書けました。

投稿すると、初めてにも関わらず、採用されました。1万円の商品券を頂きました。少なからず苦しい生活を送っていた私には嬉しい頂きものでした。

そして、月間コラム賞、年間コラム賞と頂きました。年間コラム賞では50万円もの大金を頂きました。

そんなある日、もうGWにもなろうとするのにトレンチコートを着た男がやって来ました。

名刺を見ると「中原報道事務所 代表取締役社長 中原靖男」とありました。

お茶をお出ししようとすると、ペットボトルのお茶を見せ、断られました。

「貴女、介護関係のジャーナリストになりませんか?」中原靖男を名乗る人物は、トレンチコートを脱ぎながら言いました。

「貴女のコラム、読ませて頂きました。文章としても立派だ。十分に筆でも生きていける」

「でも、私、息子が・・・」

「いや、別に今の仕事を辞めて、とは言ってはいません。今の仕事が文章になっているのだから、逆に今の仕事を辞めて貰っては、こちらが困る」

「はぁ・・・」意味が分かりませんでした。

「ですから、今の仕事を続けて、それを日記みたいに書いてみる。そして、それを私が雑誌社に売り込む。若し、掲載されたら、その原稿料の一割を私が頂く。悪くない話じゃないですか?」

「・・・日記なら、毎日書いています」

「なら、拝見させて頂きますか?」

「・・・はい・・・」

中原靖男と名乗る人物は、数冊の日記を斜め読みして、ポケットから取り出した付箋を何カ所かに貼り、

「これらを纏めて、5作位、原稿用紙10枚程度にしてみて下さい。出来たら、名刺にある電話番号に連絡して下さい」と言って帰って行きました。

初めて投稿したコラム同様、全て自分の実体験だったので、1週間もあれば書き起こせました。電話をすると、翌日、中原靖男は、もう初夏の暑さだと天気予報が伝えているのに、ジャケットを着ずに、トレンチコートを来てやってきました。

一読して、

「少しだけ、てにをはを直します。内容は決して変えません。私にこれらを頂けませんか?福祉関係の雑誌社に持ち込んでみます」

「・・・はぁ」どっちつかずの返事をしました。

何の音沙汰も無く、数ヶ月が過ぎました。あの話は嘘か、夢うつつかと思い始めた頃でした。私の勤めている介護施設にも置いてある雑誌の、来月発売される予定の最新号が、中原靖男名義で届きました。赤い付箋が貼ってありました。

そこを開くと、私の文章が記事になっていました。

記事の最後に便箋があり、「連載になる。少なくとも1年間は連載出来る様、後7作書いて欲しい」と中原の直筆で、ありました。

それが、私が『ジャーナリスト』になった次第です。

息子が全寮制の高校に通い始めてから、深夜勤も行うようになりました。

日中勤務だった頃と比べると、想像以上に大変です。

ナースコールが鳴りやみません。

2時間毎に床擦れをしないように、寝返りを打たせてあげるのは重労働です。

そして、日中は大人しいご老人も、夜中になると、騒ぎ、暴れ始めるのです。

仲間の若い介護士は、拘束服を使おうとするのですが、私は、出来る限りそれを止めます。ふ

でも、仕方なく拘束服を使わざるを得ない時には、私は目を背けて仕舞います。

そうこうしている内に、講演会の依頼等も来るようになりました。雑誌の記事を見た福祉団体の方々から講演を依頼されるのです。無料でなら、と、介護の時間を融通させて、たどたどしいながらも、市民会館を満員にした皆様方の前でお話しをさせて頂きました。

事前に交通費は貰っていましたが、豪華な松花堂弁当と「お車代」として、包まれました。固辞しましたが、止むを得ず、受け取らざるを得ませんでした。

丁度、その日は日直でした。歩いていた廊下にくぐもった、嗚咽するような声らしきものが聞こえてきました。何かしら、と思いつつ、自分の受け持ちのご婦人の部屋に向かいました。

ナースステーションに戻る時、その部屋の前を通ると、更に嗚咽のような声が大きくなっていました。

私は、思わず扉を開けました。

40歳を過ぎた、ベテランの介護士でした。血だらけになった指を、鋏で切ろうとしていました。老人の口には猿轡が噛まされ、目からは涙が流れていました。

「爪を切っていたんだ。そしたら、こいつが暴れるんだ。深爪になってさ、血が流れたんだ。爪があるから駄目なんだ、って、爪をがそうとすると、もっと暴れて、叫び出したんだ。だから、猿轡でだまらせたんだ。・・・爪だけじゃなく、指が無くなればいいとおもったんだ・・・そしたら、こいつ、もっと暴れて・・・」

目は虚ろでした。焦点があっていませんでした。

温和な方でした。主任になったばかりでした。

丁度、新人介護士が入って来たばかりで、また、経験豊富な女性介護士が、妊娠を期に休職されたばかりでした。

すぐさま、救急車と警察を呼びました。

幸い、老人の指は切断されていませんでした。介護士は傷害罪で現行犯逮捕されました。

タイムカードを見ると、その新任主任介護士は、一週間、タイムカードを押していませんでした。

精神疾患で、不起訴処分。精神病院に収監されています。

・・・後味の悪いお話で、申し訳ありません。でも、こんな事も、介護の現場ではあるんです。

ええ、記事にはしませんわ。こんな事、記事にしたら、介護の道を志す人が居なくなってしまうもの。

これは、この文章を読んだ貴方の心の中だけに、仕舞っておいて下さい。

完)